千葉県教育委員会は根本から大改革しなければならないと言いたい。
以前、千葉県の高校入試について、本ブログで厳しく指摘した。
流山から物申す。千葉県の高校入試差別。悔しい。

1月23日の朝日新聞によると、千葉県立高校の生徒が、先生の授業等での対応に悩み、アンケートなどでS.O.S.を発していたにも関わらず、適切な対応がとられず、十分な指導もないまま、2023年の10月に自殺していたことが、2025年1月になってやっと発表された。
教育長は、謝ればいいと言うものではなく、すでに繰り返される不適切な判断の責任をとって辞任すべき事態ではないか。千葉県教育委員会の体質は、なんら改善していない。任命権者である千葉県知事の判断を疑う。
今年高1になった息子の進学のために、千葉の県立高校や東京の私立高校など、いくつかの高校を見学した。ある千葉県立高校の教頭の発言があまりにも酷かったのを私自身が経験している。酷かった。
人として、思いやりのかけらも感じない、軽く、知性のかけらも感じない、その教頭の発言で、私自身は、「この学校に子どもを通わせたくない」と確信した。ショックだったのは、それだけではない。中学の教師に、そのことを話した時、「それは酷い」ではなく、先生は大声で笑っただけだった。笑うことだろうか?私には、笑えない。
子どもを育てながら、小学校、中学校、高校の先生たちの面影をよく思い出す。先生たちは、こんなことを言うだろうか?大声でさもおかしそうに笑うだろうか?有難いことに、私がお世話になった先生たちは、そういう時に、一緒になって改善してくれようとする大人たちだった。おかしくないですか?と言うと、そうではないなら、ちゃんと説明をしてくれたし、おかしい時は、いくら伝統でもすぐさま変更してくれた。そんな経験が、今の私をつくっていると思う。
一つ、つけ加えておきたいのは、その高校のすべての先生が酷いわけではないという、当たり前のこと。現場の先生たちは、図書館が見たいというと、電気をつけてくださって、ゆっくり見てくださいと案内してくれた。体育館へも、気持ちよく案内してくれた。たまたま息子の先輩がいて、「いろいろと面倒見てくれる先生が多いから、うちの高校いいよ。」と声をかけてくれた。
息子が現在通っているのは、東京の私立高校だ。本当に楽しんでいて、心から、この学校でよかったと思えている。高校入試では、いろんなことがあったので、こんな風に思える今を感謝している。中でも良かったことの一つが、先生たちが、とても「人として安定している」のを感じることだ。息子のいいところをいろんな形で、親にではなく本人に伝えてくださる。ある時、上級生が先生に対して、先生を挑発するような発言をしていたところに出くわしたことがある。その時の先生の対応が、非常に大人な神対応で「すごい!」と思えた。そういう環境だから、息子も安心して通えているのだと思う。
自殺した高校生の話に戻る。記事の中で、非常にショックだったのは、国語の先生が、生徒に作文を書かせて、その中に生徒が非常にはっきりと「本当に死ぬよ?」とまで書いていたのだが、これを先生は「読んでいなかった」という事実。驚いた。書かせて、読まないなんてことがあるのだろうか?忙しいとか、そういう言い訳は通じない。
教師のなり手がいないのは、教育現場が忙しいからだという言説が通っているが、本当だろうか。結局、若い人たちが教育に対して熱い思いがあっても、現場の先輩先生たちの姿や言動をみて、そこに希望を見出せなくなっているのではないか?親のクレームが・・・という話もあるが、親からの意見で自らを顧みたり、共有したりすることがあるんだろうか?スルーなことの方が多いのでは?
障害をもつ15歳が、補助を受けながら書いた作文。これからは、タブレットなど使えば、早く書ける時代だし、筋肉が強くなくても書ける時代。そんな時代に、高校に入って制服を着て通う自分を想像していた15歳に「学ぶ意欲がみられない」と言い放った千葉県教育委員会。教師である前に、人間として終わっているんじゃないか。この状態を改革することは容易ではない。だからこそ、それができる者が本気になって、この体質を大改革しなければ、子どもたちにとって高校時代は暗黒の時代になってしまう。
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