流山から北陸地方大地震からの1年を考える。

まちづくり

2025日の元日は、大きな出来事なく過ぎていってくれた。夕方になっても、息子は「今日は、何も起きないかな?大丈夫かな?」と心配していた。うちの子がそうなのだから、北陸地域の皆さんの元日1日の悲しみ、恐怖は、いかばかりだったろうか。

NHKスペシャル「能登 正月の72時間 一変した日常」を観た。なかなか辛い内容もあったが、勉強になった。

市民一人ひとりの、あの深い悲しみと共にあるということを為政者は、忘れてはいけないということ。

もう一点は、もっとも責任をもって動くべき石川県庁が全く機能していなかったということ。発災時、そして数日間、最も重要な時に、県知事がいないのだから当然かもしれない。しかし、それでも機能する組織でなければならなかった。

県庁幹部職員危機管理監の発言。「警察も消防も自衛隊も、災害対応、現場の救助救出のプロ。これら3つの機関を束ねて調整するとは、実は思っていなかったですし、経験もなかった。連携する機能、統括する機能が脆弱だったのではないかと感じている。」・・・って、それやるの県庁でしょ!?例え訓練やってなくても、経験がなくても、それが必要なら、その場でやるんだよ、フレキシブルに動かすんだよ、と言いたい。加えて、大規模災害の時には国が先頭に立ってやってくれないと・・・という発言。耳を疑う。石川県の地形、道路、地域の特色・・・などなど、東京から今日来た人間が判断できますか?県庁職員、何のためにいるのか?こんな職員と組織なら「いらない!」。

首相も生んだ石川県。しかし、これまでの殿様頼み、国会議員頼み、国頼み、「お上」ばかり見ている組織、硬直した組織、そういった日頃からの県庁の積み重ねが、大災害の時に一気に膿として吹き出している。もちろん、消防団員の方のように、言われなくても、命令されなくても、助けに向かう人もいる。そして、その場にいる人の力をどんどん借りる。智慧を出し合う。

発災から1年経っても、いまだに水道が使えない場所があるなんて!

県民は「耐える」だけでいいのか?

「市民の命を預かる」ことのとてつもない重さ。災害が起きてからでは遅い。流山市は、ここ十数年は、大きな災害なく過ごせているが、甘く見てはいけない。流山市からの発信を見ても、現実がどこまで見えているのかと感じざるを得ない。もっと現実味をもった検討と訓練が必要だ。

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