角野隼斗さんという音楽家をご存知だろうか?
2021年のショパン・コンクールでは、惜しくもファイナリストには選ばれなかったが、現在、クラッシックを超えて、ジャズ、ポップス、自ら作曲と、幅広く音楽を広げ楽しんでいる注目の音楽家だ。
彼の特異なところは、音楽家であるとともに、東京大学に進学。大学院博士課程まで進学している。
「題名のない音楽会」という音楽番組があって、毎週、家族で楽しんでいる。
先週は、角野隼斗さん企画で、自らの恩師・金子勝子さんの特集が放送された。少し珍しい特集だ。
タイトルは、ズバリ。
「名演奏家のかげに名指導者あり。」
角野さんは言う。
「金子先生がいなかったら、僕はピアニストになっていなかった。」
角野さんは、3歳から、ピアノの教師である母親に学び、6歳から金子勝子さんに師事している。
金子さんは、独自の基礎練習メソッドを開発。角野さんは、今でもそれを練習しているそうだ。
その基礎練習メソッド。基礎であっても金子さんは、生徒たちに「音楽的に弾く」ことを求めるのだそうだ。金子さん曰く「音の行方、音のつながりが大切。」そして、具体的にこれをやるといいとアドバイスする。音楽的にまずいことは、大人でも、子どもでも、はっきり言う、とのことだ。ある方は「生徒の音楽性に沿って指導する。」とも語っていた。
ただ、彼の才能を見出すことは簡単だ。私は、角野さん7歳と10歳の時のピアノ演奏の映像を見たけれど、完全に別次元。いや、別次元の別次元。その才能は、私でもわかる(笑)。世界的なピアニストになる才能というのは、こうなのかと感嘆した。
金子さんは、角野さんの幼い姿について、「ヤンチャで、なんでもできる子だった。ピアノ大好きのオーラが出ていた。高い集中力をもつ子だった。」と語っている。
彼は、音楽大学ではなく、東京大学へと進学する。大学院の時には、インターンをしながら、「ピティナ・ピアノコンペティション」特級グランプリに挑戦。インターン後の20時から24時まで、金子さんの練習室で練習し、そのまま泊まり、翌日、インターンに通うという日々だったそう。そして、見事、特級グランプリに。そこから、一気に2021年ショパンコンクール出場など、世界へと羽ばたいていった。ただし、ショパンコンクールでは、ファイナリストには選ばれず、ご本人は挫折だったと語っていたそうだ。私の挫折とは、レベルが違う(笑)。
金子さんは言う。「角野さんを世界で活躍できるピアニストにしなければと思っていた。前へ前へ進んでいて、人間関係を広げ、クラッシックを改革したいと。期待したい。」
そして、最後に、私がこの話をブログに書こうと思った理由となる言葉を紹介したい。
角野隼斗さん曰く。
「僕よりも、金子先生の方が、僕のことを信じてくれた。」
この言葉を名演奏家に言わせたことこそ、名指導者たる所以だろう。
そして、この言葉は、ピアノに留まることなく、学校の先生を含む、子どもたちを育てる大人たちが心に留めておきたい言葉のように思う。
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