今朝のNHKラジオで聴いた、国際社会経済研究所所長の藤沢久美さんの話が興味深かった。UAEの首都アブダビで開かれた、IEEEAと日本ロボット学会が主催するロボットに関する国際会議「IROS」についてだった。
印象的だったのは、ヨーロッパと日本のロボット観の違い。ドイツでは、人型ロボットの開発は人間への冒涜につながるということで進められていないそう。またヨーロッパでは、人間がロボットの「上」に位置して、ロボットに指示する立場であろうとするのに対して、日本で開発しているもの、例えば、サイバネティック・アバター「おりひめ」は、人間とロボットが一体となるものを開発しているという違いがあるという。
出席していた哲学者からは、人型ロボットを捨てたりするのは、人を軽んじることにつながるのではないかという提起があったという。なかなか興味深い。
中国は、アメリカの最先端と同レベルのロボットを「格安」でだしてきているという。大量生産が行われるのも時間の問題だ。
高齢化社会の中で、人手不足が予想される日本は、医療や介護の現場などで、遠くない将来、人とロボットが共に働くようになるかもしれない。日本人は、それを受け入れていくのだろうか。
人とロボットが共に暮らし働く。その時に、人間が幸せになるための人間とロボットの関係、またロボットから派生する様々な問題に対処するルールが、現在は全く設定されていない。もしかすると、これを進めるのは、新しい憲法をつくる作業に近いものになるのではないか。大変な作業だろう。
しかし、あらゆる可能性を想定しながら、倫理的に、法的に、しっかりしたルール・セッティングがなされなければ、人間とロボットの関係はディストピアにもなり得ると想像する。AI兵器については、すでに国連が動き始めているが、日常の生活を含む人間とロボットについてのルール・セッティング、誰が主導し、誰が参画して、どのような内容で進められるのか。注目したい。
2024年11月14日 上田恵子
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