今日、大阪高裁は、先天的聴覚障害があった少女が重機による事故で死亡した事件について、大阪地裁が下した賠償額が妥当かについて判断を下した。

【判決要旨】聴覚障害の女児の逸失利益、「健常者と同額」と認める:朝日新聞デジタル
大阪市生野区で2018年、聴覚支援学校に通う井出安優香(あゆか)さん(当時11)が重機にはねられ死亡した事故を巡り、重機の運転手や勤務先だった建設会社に、健常者と同額の賠償を認めた20日の大阪高裁判…
死亡した11歳の少女、安優香さんの賠償額について、
大阪地裁は「障害で他者とのコミュニケーションが制限され、労働能力も制限しうることは否定できないとして、全労働者平均賃金の約85%とするのが相当」と判断した。
今回の大阪高裁の判断は、この地裁の判断が妥当かを問う裁判だった。その結果、大阪高裁の判決は、「全労働者平均賃金を用いるのが相当で、ここから何らかの減額をする理由はない」というものだった。
素晴らしい!!!
この判断「虎に翼」現象だとみたっ!裁判官が、何ら偏見をもつことなく、事実と法に照らして、忠実に判断する。当たり前だけれど、簡単ではない。裁判官もまた社会の偏見に囚われ、それを内在化し、その「当たり前」の判断が実行されないことは、珍しくない。
今回の大阪高裁の裁判官らは、安優香さんの日頃の生活、学習、現在可能な支援、支援技術など、様々な要素を検討しながら、彼女が障害をもちながらも「ささやかな合理的配慮」(「ささやか」と言う言葉に裁判官たちの意思を感じる!)である支援をうけながら、支障なくコミュニケーションは可能であり、減額すべき程度に労働能力が制限されているとはいえないと判断した。
法が、一人の人間が生まれてからこれまで格闘してきた努力を認め、当然あるべき社会のあり方をみつめ、一人の人間の尊厳を認めた判断を下したと思う。
本来、裁判所がなすべきことを明確に実現した判決だといえる。
それは簡単ではない。
この判決は、障害をもつ人々への偏見とまだまだ支援が不十分な日本社会の現実の中で、格闘する多くの人々の努力を認め、評価し、励ます判決だと思う。
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