流山市から丸山島根県知事にエールを送る!2025.03.20公開

子ども・子育て支援

丸山達也島根県知事が。至極真っ当に、吠えている。

一つは、以前、本ブログで紹介した「高額療養費制度」について。

もう一つは、中央教育審議会委員に慶應義塾大学塾長伊藤公平氏を任命した判断について。

伊藤慶應義塾大学塾長は、

「国公立大学の学費を現在の3倍の150万円程度に引き上げよ。中間層も含め必要な人には奨学金を。」と主張している。

私は、伊藤塾長の意見に反対だ。理系の学者とはいえ、現状の日本社会の現状認識が乏しすぎる。

この人選に大いなる意義を申し立てているのが、丸山島根県知事。

その意見、少し長いが聞いてもらいたい。

「私はね。島根県知事の分際で何言ってるんだと言われてますよ。言われてるけど、この影響は島根県の子どもが受けるんだよ。島根の親が受けるんだよ。島根県、適用除外にならない。この弊害は確実に島根県に波及するんだよ。波及してるしね。だから関係ないなんてないよ。関係ありありだ。こんな改悪を勝手にやられてそれをね、県がリカバリーなんか出来ない。教育無償化の財源、恒久財源って話があったけど、国立大学の授業料引き上げでやろうとしているんじゃないか。財務省からそんなこと言われてるんじゃないのか。だから旗を降ろさないんじゃないのか。正に高等教育を一般国民から遠い所に遠ざけて。高校無償化っていう耳あたりの良い話でお茶を濁そうとしてる。(無償化で地域の公立高校が衰退すれば)大学進学が近付くような高校に行こうと思ったら、中学校から中高一貫校に行ってないといけない。中高一貫校に行こうと思ったら小学校の低学年から塾に行かないといけない。もうそんな形で高等教育なんて普通の国民は関係ありませんという風な世界を作って、子どもが増えるのかと。日本は滅びるんじゃないか。少子化が止まらなかったら日本は滅びるんだと。国民が滅びるようなことを平然とやってるから俺は国賊と呼んでるんだ。」

伊藤塾長が主張するように、国立大学の学費を上げ、いくら中間層の子どもたちにも奨学金を用意しても、その多くは返済が必要。現状では、都市銀行並みの利率だ。この利率の高さは、小泉政権時代に、小泉首相(当時)が竹中平蔵氏と共に実現した「改革の結果」なのだ。ここはアメリカではない。アメリカの社会と日本の社会は全く違う。初任給の格差が小さい日本で、少しばかり初任給が上がったところで、その他の生活費の高騰を考えたら、とんでもない借金である。

このような環境は、「確実に」高等教育を国民から遠ざけ、高等教育を受けたい人を狭めてしまう。その結果は、この国の将来と繋がっている。また地方国立大学が、地方の社会を支える人材を確保してきた。その学生が減少したら、どうなるのか。地方の国立大学こそ、その研究レベル、教育レベルを上げていくために財政支援を含め、行っていくことが「地方創生」の第一歩ではないか。

私は慶應義塾大学法学部政治学科卒業だ。

私の学生時代、慶応義塾は、慶応幼稚舎(小学校)の学費が最も高く、大学院に向けてどんどん授業料が安くなる仕組みだった。今もで、そうだと思う。

慶応幼稚舎の合格は、はっきり言うが、本人の実力ではない。

実力ではなく入学して慶應義塾の教育レベルを保障された子どもたちには学費を最も高くし、努力して実力で合格した者たちには、授業料を安くする。実力と努力に敬意を表しているとみた。

もちろん、慶応幼稚舎でも医学部に入ることは簡単ではないが、外部からの入学者は、更なる相当な努力が必要だ。

私は、このような実力と努力への敬意を示す慶應義塾のシステムを、いろいろなところで紹介してきたし、心から誇りに思ってきた。

当時で、入学時64万円、授業料は44万円くらいだったと思う。

これは現在では国立大学程度の金額だろう。

当時、慶應義塾は、私立大学の中で最も学費が安かったはずだ。

しかし、現在の授業料を見たら・・・、驚く高さだ。ここのところ、少しばかりベースアップしたと言っても、賃金はずっとアップしてこなかったのだから、労働者の賃金は決して十分ではない。物価は高騰し、教育費がここまで上がると、授業料に加えて生活費が必要となる島根県のような地方に暮らす若者にとって、大学に入ることなど、首都圏の私立大学に入ることなど、夢のまた夢になってしまう。

それは、若者に実力ではなく、お金のために「諦めさせる」ことであり「夢を持たせない」ということ。

地方で起きているのは、そのような「お金がかかる夢」など、そもそも子どもたちにもたせないための「知への侮蔑」さえ起きている。「頭がよくたって何にもならない。」「勉強したって何にもならない。」そんな大人の都合のいい論調が、地方の子どもたちに染み渡って、高等教育から遠ざかることになれば、日本の将来を根本から腐らせてしまう。

そのような現実を、この問題を真剣に検討して「決める」必要がある政治家たちが見ていない。

または見て見ぬふりをしている。

それに対して物申してくれたのが、丸山達也島根県知事なのだ。

日本の将来をなんとか守るためには、日本のような資源のない国には、「人」つまり「教育」しかない。

その日本社会の未来にとって最も重要な教育をせっせと根本から腐らせている。

この国の教育風土を根本から作り替えていく必要がある。

 

「学ぶ」こと、「考える」こと、「工夫する」ことの面白さ、楽しさを子どもたちが実感できること。

人の考えを聞き、自らが学び考えたことを人に伝えて共有し、磨き上げる楽しさを知ること。

健康な心と体をつくること、そのための知識も得ること。

「社会の中で生きることの意味」をしっかりと見出せるようになること。

幅広い知識を得ながら、自分の好きなものを見つけ、それを突き詰めることができること。

一つの世界をもちえた時、それが幅広い世界や人々とつながる喜びを知ることができること。

そのために必死で頑張ることの楽しさを実感すること。

一方で、これらを得ることが、保護者の経済的状況で左右されてはならない。

なぜなら、それはこの国が日本国憲法において、すべての国民に保障している人権なのだから。

コメント