流山市で「子育てのしんどさ」をなくしていくために。2025.02.08公開

子ども・子育て支援
6 Children from all over the world drawing a world map on the street. EPS 10 vector illustration with transparent cast shadows (on separate layer) of the children on the street.

永野むつみさんの講演会を受けて、主催団体NPO法人流山こども劇場の皆さんが、講演会で感じたことを共有する会があるとのこと、参加してきた。

部外者の私が参加するのは勇気のいることだったけれど、永野さんの講演から受けた、これほどの感動、気づきを、誰かと共有したかったのだと思う。

参加してよかった!

「母になるなら流山」の流山市で子どもを育てている皆さんが、いろいろなしんどさを抱えている様子を聞かせてもらうことができた。お互いの経験を共有し、いろんなことを学ばせてもらった。

全てを伝えることはできないけれど、その一つは、価値観の相違というものをどう超えていけるか。

子育ては、何か一つの正解があるわけではない。

子どもたちの問題を大人たちがどう見守るのか、どう対処するのか、という時の保護者同士の価値観の違いをどう理解し合えるのか。これは大変な問題だ。

お互いの思いをちゃんと聞き合える関係をどうつくれるのか。近所といっても、お互いに仕事をしていたり、ゆっくり知り合うこともできない中で、どう関係をつくっていけるか。難しい時代だ。

同じクラスになっても、お互いの電話連絡網もない(私の時は、小1の時だけ電話連絡網があったが、他のクラスの子と問題が起きた時は、お手紙でのやりとりだった)。連絡のしようがない。

学級懇談会も、早く終わる方が保護者受けがいいと思われるのか、先生からのコメントと一言ずつで終わってしまい、本当に心を開いて話したり、お互いの悩みを共有したり、子どもの日頃の様子もよくわからず帰宅する状態だ。

PTAは煩わしいものという人も増えているが、同じ地域で子どもを育てる仲間として、お互いの事情を理解し合いながらも、子どもたちのために活動したり、子どもたちにとってよい環境をつくるための率直な意見交換の場があっていいと思う。

何か問題があった時に、大人たちがやたらに大袈裟に騒いだり、無視したりするような関係は、子どもたちにも影響するのではないだろうか。

私は、子どもの小学校に恵まれたと思う。1年生の時、入学時に連絡網があったので、学校の外で親子で会う機会をつくった。だから、お互いの顔、親と子のマッチング(笑)ができて、近所で会っても挨拶をしたり、おしゃべりをすることができた。その時の何人かの友達は、今でもいろいろな話ができている。この関係は本当〜に貴重だ。

長くなって恐縮だが、小学校5年生の時か、初めて子どもたちが調理実習をするという時、先生に包丁は研いでありますか?と聞くと、全くできていないとのこと。では、保護者で包丁研ぎを手伝います、ということになった。みんなに連絡。あっという間に、8名くらいが参加。参加できない人は、「仕事で参加できないけど、子どもに、うちで使っている包丁研ぎを託すから使ってね!」と沢山の包丁研ぎ器も集まる。こうなると、もう40本くらいの包丁も、あっという間。涙がでるほど、嬉しい経験だった。

思い出話が長くなって、すみません・・・。

もう一つ言えるのは、行政や学校からの情報発信をもっと自信をもって、発することではないだろうか。特に、先生たちは、学校生活の中で、子どもたちの変化、問題を敏感にキャッチしているはず。自らの経験を生かして、それら先生たちの気づきをきちんと発信して、保護者と共有していくことが大切だと思う。いいことばかりをアピールするだけではなく、課題も共有したい。

また行政も、子育ては、それぞれの価値観があるということは事実だけれど、もっと流山市としての方針、正しい情報、めざすものをきちんと発信していいと思う。

子育てというものを学ぶ機会は、なかなかない。学校でもほとんど学ばないで、私たちは親になる。だからこそ、子どもにとって本当に大切なものは何なのか、ネット情報に頼ることなく、大切な知識を保護者がしっかりと受け取り、それぞれ考えてもらうために、もっと行政も勉強して、体、心、学び、学校側の思いなどを発信していくことが大切ではないかと思う。

繰り返すが、私たちは、子どもが育つということについて学ばずに親になる。最近気になるのは、子どもを大人と同じ存在として扱う親の姿だ。躾の度が過ぎていて、「できて当たり前」という態度で子どもに接する大人が多過ぎないか?少年法の問題もそうだが、子どもたちは大人になる途上にいて、いろいろなことを学んだり、失敗したりしながら、身につけている途上にあるという感覚が大人の側に少ないのではないかという気がする。2歳や3歳の子が、遊ぶ時にもマナーを理解しているなんてことがあるわけがない。それができている子はすごいと思うけれど、反対にこじんまりとした人で終わっちゃうのでは?と思ってしまう。

子どもだから許されるということがあっていいと思う。子どもはもっと自由に、自分のやりたいことにがっつりやりきったり、自然の中で思いっきり遊んだり、心と体を解放して、思い切り子どもであることを楽しんでほしいと思う。あれもダメ、そうやったらダメ、こうしないとダメ、では子どもはのびのびと大きくなれないのではないかと思う。もちろん、自戒を込めて。

NPO流山おやこ劇場の活動は、単に子どもたちの豊かな心、育ちのためだけでなく、親たちをも支える貴重な場になっていることを痛感した。こういった活動もまた、「母になるなら流山」の大切な宝だと思う。

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