政治とメディアについて考えてみたい。
アメリカは、メディアが、ホワイトハウスの権力を大きく変えていった経験をもっている。
ウォーターゲイト事件、ヴェトナム戦争のペンタゴン・ペーパーズなど。
ニクソン大統領を辞任に追いやったこともある。
過去にも、現在も、いつも必ずチェックしたくなる、その人のコメントを聞きたくなる、素晴らしいジャーナリストたちが存在している。
その一角に位置するワシントン・ポスト。
2013年に、Amazon創業者であるジェフ・ベソスに売却された。
アメリカでは、大統領選挙の際に、どの候補者を支持するかを明確にする。
ちなみに、NewYorkTimesはカマラ・ハリスだった。
しかし、ワシントン・ポストは、今回、候補者の支持を明らかにしなかった。
支持を明らかに「できなかった」ことに抗議して、編集人が辞任し、25万人の購読者が購読を中止した。
さすが、アメリカ。
その後、トランプ大統領の就任式のひな壇に、そのジェフ・ベソス氏がいたことは記憶に新しい。
今回、イーロン・マスクを批判する広告をワシントン・ポストが掲載を見送ったという。

いよいよ、ここまできたかという思いだ。
それと共に、健全な批判が存在しなければ、健全な政治、行政は営まれないことを強く訴えたい。
健全な行政は、批判に対して、明確な説明を行えなければならない。
また健全な批判に対して、行政のあり方を変えなければならない。
ときには、責任をとらなければならない。
それは何も、アメリカという遠い場所だけのことではない。
流山市でも、「宣伝」のようなメディアへの掲載によって、流山市のイメージが有名になってきた。
一方で、新聞などの千葉版に流山市が掲載されることはかなり少ない。
ましてや、それが批判的な内容であることは、もっと少ない。
そのような中で、私たち流山市民は、現在起きていることを知ることができないでいる。
それが、流山ツーリストデザインであり、通称飛地山の恣意的な土地の許可のあり方、流山市指定有形文化財に指定したブラッセリー新川の旧割烹新川や本館の扱いなどである。
議会では取り上げられているものの、これを市民に伝えるメディアがないため、流山市民の中で、その情報が共有されず、ずさんな行政の在り方が続き、そこに私たちの税金が投入されることが続いている。
だからこそ、健全な批判、真実を伝えるメディアが大切なのだ。
日本も、流山市も、それが問われている。
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