9月16日の流山市議会教育福祉委員会で、長い時間をかけて審議されたのが、陳情第14号「公開性を重んじた本来の教育委員会会議の運営」を求める陳情書である。
https://www.nagareyamagikai.jp/doc/2026090100022/file_contents/r8-3_chinjo14.pdf
私は、この審議時間、どうしても外せない用があったため、審議を聞くことはできていない。しかし、この陳情書が指摘する内容は、流山市にとって、特に私たち市民にとって、極めて重要だと思うので、ご紹介したい。
◯教育委員・教育委員会会議を知ってますか?
多くの市民は、教育委員会があることは知っていても、教育委員がいること、その人がどんな人か、教育委員会会議というものがあること、そこで教育施策について議論されていることをあまり知らないのではないだろうか。
実際には、市から選ばれた教育委員が、流山市の教育施策について報告や説明を受け、議論している。その内容は、いじめなど個人情報に関するセンシティブなもの以外は、議事録が作成され、流山市のホームページで公開されている。
◯謎の「教育委員会委員協議会」!
ところが、附属幼稚園廃園条例について6月議会の本会議で議論している際、市長から「教育委員会委員協議会(以下、協議会)」なるもので附属幼稚園の廃園について「了承されたと聞いている」という発言が出た。
私は、その時に本会議を傍聴していたのだが、「教育委員会委員協議会って何?」「教育委員会会議を言い間違えているのか?」「それなら、なぜ事務方が伝えて訂正しないのか?」と驚くとともに、「なんだそれは?」と不思議に思い、自分の不勉強を恥じた。
◯議事録がなく公開されない秘密会議「教育委員協議会」
その後の教育長の説明で、「教育委員の知識や知見を深める場」として設定されたものだという。そして、この協議会では議事録が作成されず、公開されないという。
陳情者からは、この協議会が行われてからというもの、議事録が公開される、本体の教育委員会会議の開催時間が短くなり、形骸化しているのではないかと指摘されている。
結局、教育委員らが、どのような説明を受け、どのような議論をし、その結果、どのような結論に達したのかということが議事録によって明らかにならない事態が生まれている。
議事録がなく、議論のプロセスが公開されない、いわば「密室会議」で教育行政が承認されていっているということだ。
◯協議会は、多様かつ対立する情報を得た、公正(フェア)な議論になってるか?
陳情者は、例えば附属幼稚園廃園問題を検討するなら、当事者である保護者らが、教育委員の会議で意見交換させてもらう必要があったのではないかと指摘している。その通りだろう。
教育委員会からの報告や説明だけでは、一方だけの意見でしかない。教育委員らは、どちらか(市側)だけに偏るのではなく、しっかりと双方の意見や説明を聞き、中立的に、自分の経験や見知を活かしながら議論していく必要があるのではないか。
こう書くと、教育委員会は、「これはあくまでも自由に『協議し』『知見を得る』場でしかない」と答えることだろう。しかし、実際に市長は、この協議会での「教育委員の判断」を根拠に、附属幼稚園廃園条例を説明している。
◯教育委員、そして教育委員会会議は形だけになっていないか?
教育委員自身から「議論のプロセス」や「どのような指摘が教育委員(自分たち)から出たかが公開されないのか?」、「公開されないのはおかしくないか?」という指摘が出なかったのだろうか?
つまり、教育委員が、教育委員会から出てくる課題について精査し、時に批判し、厳しくチェックする存在ではなく、「承認を与えるだけのYES マン・ウーマン」になってしまっていないか。「教育委員は承認した」という「事実」を引き出すための「形式だけを整える組織」になっていないか?
◯以前傍聴した会議の様子
以前、私が、確か、その時の名称は、「教育総合会議」?だったと思うが、傍聴したことがある。教育委員も参加していた。傍聴者は5名程度に限られていたように思う。資料の数の問題もあったのだろうが、基本的に傍聴者を限ることは極力すべきではない。私の他に、元校長先生などが一緒に傍聴した。
翌年の教育予算の承認だったのだが、教育委員の中には欠席者がおり、教育委員から出た質問は1回だけ。元校長先生は、「なんだ、この会議は!質問が全く出ないじゃないか。なのための教育委員なんだ!」とずっと怒っていらっしゃった。その通り。
教育委員会が「厳しい指摘も含めて議論し、条例案や施策を練る」ということができていないから、市議会での議論で議員らを説得できないのだと思う。多分、教育委員会内でも、市議会議員との間でも、しっかりとした事前の議論ができていないのではないか?
私は、国会での経験しかないが、国の場合は、省内、省間で、相当に凄まじい議論をする。その議論は、今でこそ緩くなってきているかもしれないが、本当に凄かったようだ。しかし、だからこそ、この国はここまでやってこれたのだと確信している。
そういった自由で厳しい議論をする強さがなければ、法案・条例案は緩んだものになる。私は、そういう自由で厳しく凄まじい議論をすると心躍る。議論の中で、どんどん議案が締まっていく感じ。その結果、本当に必要な現実の対応に即したものへと仕上がっていくプロセス!
もちろん、どこかで「決する」必要がある。しかし、トップダウンで、言われたことをやるだけでなく、市長たちを含めて徹底的な議論をする。そして、それを公開し、市民からも厳しい意見をいただきながら、鋼を造るように、条例案を練り上げていく必要がある。
そのプロセスをぜひ楽しんでほしい。
そして、公開を恐れない。
民主主義において、公開は必要不可欠だ。
そのためには、まず自分たちの中で、自由で厳しい議論によって、市民に自信をもって公開できるものをつくっていく必要がある。


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