グローバル・プラットフォーム、メタのマーク・ザッカーバーグCEOが、自社の事実確認機能「ファクト・チェック」を廃止すると発言し、波紋を呼んでいる。
このニュースを聞いた瞬間、発した言葉は「It’s shameful!」。その理由を考えた。
現在SNSは、米国はもとより、全世界の人々の生活、いや命にまで影響をしていると言って過言ではない。災害時、選挙など、社会の多くの人にとって極めて重要な時に、もちろん、大切な情報が共有されたことを否定しない。しかし一方で、偽情報によって、混乱を引き起こしたことも事実だ。また若者の中には、SNSを通じたいじめに苦しんだり、アルゴリズムによって集中して届くダイエットなどの情報によって追い詰められ、死に至る若者も少なくない。これは事実だ。
こういった、自社のビジネスが引き起こす「負の問題」に対処する責任を放棄するとは、どういうことなのか。
メタが、若者への負の影響を「認識していながら」対処していなかったことを、元メタ社員に暴露されたことも記憶に新しい。
そして今回、平気でありえないような嘘をつき、無責任な発言をいとわず、暴力を肯定し、社会の分断を煽り、それを自分の選挙戦のエネルギーにしてきた人物が、アメリカ大統領に再選されたとみると、馳せ参じて多額の寄付をする。それだけでも恥ずべき姿だけれど、それだけにとどまらず、その無責任で有害な嘘の発言や社会を煽る発言を否定するのではなく、むしろ、それが拡散することに資するかのように、「ファクト・チェックを廃止する」なら、CEOとしての世界のユーザーへの責任を放棄したことになる。このCEO自身もまた、社会の害以外にない。
ハーバード大学の寮生の情報交換のレベルの話ではない。人々の命や人生に影響するほどの情報を扱うのだから、ユーザーが完全にとは言えないにしても、ある程度安心してプラットフォームを利用できる環境を整えることは、自社の大きな役割ではないか。儲けるだけは儲けながら、権力者との衝突を回避し、権力者の顔色を伺い、権力者におもねって、「やっかいなことはやりません」などということが通るのか。そんなCEOをCEOと呼んでいいのか。
聞くと、「ファクト・チェック」を委託している会社に対して、何の説明もなく廃止を発表したという。これも経営者として、あり得ない、無責任な行動だ。
利益さえ上げれば、CEOとしての責任を果たしたことになるのか。
企業とは、社会にとって、それほどに責任のない、軽い存在でいいのだと言っているに等しいCEOの存在がまかり通っていいのか?
いいわけがない。
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