流山市から阪神・淡路大震災の被災者に哀悼の意を表す。

まちづくり

阪神・淡路大震災から30年。

大都市の、早朝に起きた直下型大地震。

北陸と同じように、あの日も寒い日だった。

6434名の亡くなった人々、そして、いまだ行方不明の人々。

そして今も、亡くなった人を想い暮らす皆さんに、心からの哀悼の意を表します。

当時、大きくグニャリと倒れた高速道路や火災が鎮火しない長田区の様子などを呆然とテレビでみていたのを思い出す。田中康夫さんが企業を動かして生理用品などの物資を調達したり、暴力団の人たちも炊き出しをするなど、ありとあらゆる人が力を合わせて動いた。

亡くなった人たちを想って、「やっぱり(30年経っても)涙がポロポロ落ちてくる」と語る人たちの気持ちを思うと、本当にやるせない。家族を友人を、顔馴染みのあの人を一瞬にして失った。それぞれに後悔があったり、いろいろな思いが渦巻いている。

東日本大震災の時も強く思ったけれど、本当に毎日、家族がきちんと何事もなく家に帰ってきてくれることの嬉しさ、有り難さを改めて思う。友人たちも元気でいてくれることの嬉しさ。

しかし、この30年間、まだまだ進んでいないのは、行政の感覚ではないか。もちろん、防災関係の部署が強化されていないとは言わない。備蓄も前より進んでいる。しかし、それでもなお、真剣な臨場感ある対策や準備ができているとは言い難い。

北陸大地震でも、情報の集約ができていなかった。県知事も、石川県にいなかった。広い学校の体育館に、ストーブが1台しかないとか、ありえない状況があった。ヘリを持っていても活用できていない。被災地での医療は、患者の移送に関する十分な準備や打ち合わせ、対応ができていなかったことが明らかになっている。

年末、私が住む南流山地域では、停電が起きた。約40分程度。しかし、流山市からは何のアナウンスもなく、携帯も繋がらず(基地局も停電していたのだろう)何が起きたかもわからなかった。いつどうなるかもわからない中、我が家はマンションなので、非常用トイレを引っ張り出したり、ロウソクを灯したり。家の外に出ると、いつもは煌々とついている電灯が消えて真っ暗、誰も出てこないため、繋がることもできず、本当に怖かった。マンションでも、今後対策を検討していく必要があるだろう。

さて、石破首相は、その総裁選の公約として「復興庁の創設」があった。私も、東日本大震災の時に永田町で仕事をしていたので、「復興庁創設」に大賛成だ。これに反対する党はないと思う。そういう政党で合意できることをもっとスピード感をもって実現しなくては!スピードが遅すぎる。だから、国民はイラついているのだ。

ただし、地域のことは地域が一番知っている。国には、予算の確保や専門家の知見をつなぐなどを期待したいが、何よりも一人の命を助け支えられるのは、自治体の力にかかっている。「その時」に、いかに迅速に、フレキシブルに、首長が責任をもって、自治体、自治体職員、市民の力を結集して、ことにあたれるかにかかっている。それを可能にする、日頃からの真剣な準備、検討、訓練が必要だ。

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