東日本大震災で被災した視覚障がい者の女性についての記事があったので、皆さんと共有したい。
私は、東日本大震災当時、政策秘書だった。被災当日は、党職員の安否確認や支援で帰宅できず。ちょうど参議院は予算審議で忙しく、母が子育ての応援に来てくれていたので、子どもは何とか帰宅できた。夫は、その日車で出かけており、道路が混んで、帰宅したのは夜の23時ごろだった。母には感謝している。
翌日の朝、動き出した千代田線・常磐線に乗って帰宅した。電車の中は、ものすごい混みようだったけれど、なるべく多くの人が乗れるように、ギリギリまでお互いに融通しあっていた乗客の姿が記憶に残っている。誰もが無言で、本当にシーンと静まり返っていた。
その後はずっと、各地への支援、避難関係(物資を含む)の問題の解決、原発事故問題などに取り組む日々が続いた。原発事故への対応について、毎日毎日要請文書をまとめ、官邸に行っては協議した。しばらくの間ずっと、東北のさまざまな方達の話をヒアリングし続けた。
そのヒアリングの中でも、ハッとさせられ、考えさせられたのは、障がい者の皆さんの避難の問題だった。私が聞いた内容は、またの機会に書きたいと思うが、ここに添付した記事は、その時のことをまざまざと思い出す内容だ。
視覚障がいの女性「死を覚悟」震災時の恐怖 人で溢れた避難所、不自由さに愕然 #知り続ける
https://news.yahoo.co.jp/articles/b1a15338e23895963a14f24ceec378b062edfe99?page=1
障がいをもつ人が被災した時、どのような問題・課題があって、地域の人々や行政がどんな支援を行う必要があるのかのヒントがここにある。私がこだわっている個別避難計画についても、それが進んでいない状況が報告されている。
こういった当事者の声をなるべく多くの人が聞き、心に留めておくことが、いざという時を支える。
災害が起きることは防げないが、二次災害を引き起こさないために、私たちは、過去の事例から学ぶことが必要だ。
学ぶとは、同じ過ちを繰り返さないということだ。
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