これまでブログで取り上げてきた「高額療養費」の今年8月からの自己負担上限額引き上げが見送りとなった。
歓迎したい。
上田恵子のブログ 2月19日

上田恵子のブログ 2月28日

衆議院予算委員会で、石破首相は「制度の存続のために必要だ」という答弁を繰り返した。
確かに、制度の存続は必要だ。
しかしそうならば、「なぜか」が具体的な数値とともに語らなければならなかった。しかし、それが最後まで、できなかった。その「なぜか」がなければ、「制度の存続のために必要だ」という答弁は、国民への脅しにしかならない。だから、今回の引き上げ見送りにつながったのだろう。
また今夏の参議院議員選挙を睨んで、参議院の与党議員らが、強く引き上げ見送りを求めたようだ。
当然だろう。
この「高額療養費制度」は、これを利用するほど医療費がかかる経験をしなければ知ることのない制度だ。だから、この制度を知らないということは、幸せなことでもある。
一方、ブログでも書いたように、この制度によって家族の生活が守られることは、この制度にお世話になった母を見てきた私自身の実感だ。
今後は、ブログでも書いたように、年収設定枠の設定を見直すなど、この問題をきちんと精査することは必要だろう。
これからの日本の社会保障は、どうあるべきか。
私が政策秘書の頃、国会で大きな議論が起きていたが、小さな改変を繰り返すばかりで、何も変わらなかった。その小手先の改変では、歪みが大きくなってきているのではないか。
今後、さらに大きく少子高齢化が進む日本において、改めて、日本の社会保障はどうあるべきなのかを議論し、実行することが必要だろう。
その際にポイントになるのは、これまでの家族単位の制度設計ではなく、個人単位の制度設計に転換することだと思っている。そして、一人一人の尊厳を守る生活基準(例えば、年金額や生活保護費、高額療養制度であれば、自己負担額の基準となる年収枠の基準など)をどう設定し、これを財政的に守っていくかだと思う。
この極めて重要な問題の議論が、ずっと後回しにされてきた。
この問題を真剣に議論する時だが、今の国会には、その議論ができる国会議員は少ないのではないか。
今夏の参議院選挙では、日本の社会保障政策についての議論は期待していない。
だが、先送りされたこの問題のツケを払わされるのは、私たち国民だ。
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