※ 3月24日公開のブログから、高校生のバイトについての記述を削除しました。できる限り、学業優先を勧めたいという考えに変わりはありませんが、社会参加の方法の一つとして、バイトがある高校生を知っているので、一様に言えないため、削除しました。
3月22日(土)、「いのちと生活を支える在宅医療と介護〜地域で暮らし続けるために〜」に参加してきた。このシンポジウムについては、何回かに分けて4月4日あたりから、本ブログでお伝えしたい。
さて、このブログで、何度も「子どもたちとSNS」について発信してきた。
特に、オーストラリアが、国として「16歳未満のSNSを禁止する法案」を可決して、年内に施行されることについて、何度も取り上げてきた。
3月23日(日)の朝日新聞で、この「子どもとSNS」について大きく取り上げているので、ご興味のある方は、ぜひ読んで考えていただきたい。
情報へのアクセスについて、国家が規制することについては、私自身は危機感をもっている。
第一の原則として、国家が情報の判断や国民の情報へのアクセスを規制することがあってはならないと考えている。しかし、その相手が「未成年」であると、また違ってくる。
子どもたちの様子を見ていて、本当に必要なのか?と思うことが多々ある。子どもたちが、企業の利益のために、自己規制できず、企業の仕掛けた渦に飲み込まれているのではないかと思う。子どもなのだから当然だ。子どもの時には、やるべきことがたくさんある。寝ること!人と目と目を見てコミュニケーションをとること、勉強すること・・・などなど。子どもたちは、それができているのか?
SNSやネット、ゲームなどの「中毒性」。
これが大問題だと思っている。自分でコントロールできる子どもがいないとは言わない。しかし、その割合は少ないのではないだろうか?朝の電車で、どれだけの大人たちが携帯ゲームをしているかを考えたら、大人でも難しいことを子どもに任せて、その中毒性から自分で抜け出せ!というのは酷だという気がしている。
ポルノ的な写真、サイトの広告が無防備に送りつけられている。それによって、自己コントロールできない大人たちがこれだけ多いのに、子どもたちが自己コントロールできるはずがない。特に、思春期の子どもたち。
今や、ネットゲームなどにはまって、体内時計や生活リズムが崩れ、不登校になったという話は、珍しくない。珍しくないからいいのではなく、だからこそ、「この状態はダメだ!」と大人として明確に示して、子どもたちにとって必要な環境を整える必要があると思う。
国だけでなく、自治体でも、保護者と共に、子どもたちの話も聞きつつも、規制が必要だと思う。
うちの子は、昨年高校1年生の1年間をかけてメディア・リテラシーについて学んできた。非常に有益な授業だったが、だからと言って、態度が大きく変わったわけでもない。「ここに気をつける!」といったことは頭の中にきちんと入っているようだが、それでも、ちょっとした時間に別室に閉じ籠り、Youtubeなどの動画を見たりしている。もちろん、ある程度の時間ならいい。今のところ、親が声をかければ、さっと携帯やPCをストップできているので、大きな親子の対立にはなっていない。
中学生や高校生が、ゲームや洋服や化粧や仲間とのカラオケなど、SNSを通して、企業によってうまく仕組まれた「お金」が必要なマーケットにどっぷり浸ってしまっている。本人たちは、それによって「何を奪われているか」に、まったく気づけていないのではないか。
日本では、そういった企業の思惑を知っていて、あえて国会議員をはじめとした人たちが、子どもの利益ではなく、企業の利益を優先して放置しているとしか言いようがない。
メディア・リテラシーを学び、身につけることは、今の時代、すでに「コモン・センス」だと思う。私自身も2023年の流山市長選挙の公約に、メディア・リテラシーを行うことを挙げている。小学校から、少しずつでも学んでいくことが必要だと思う。
しかし、それだけでは抵抗できないくらい、子どもたちへの情報量、誘惑、マーケティング化は進んでいる。将来、この社会を任せることができる大人へと成長してもらうためにも、もちろんネットやSNSの使いこなし方、A Iとの付き合い方を身につけることも必要だが、手を使い、現場に行き、五感をつかって知ること、動くこと、学ぶこと、人とのやりとり、そういったことこそが、本当の意味で、将来の自分、自分の幸せを支えるものになるのではないだろうか。
大人も子どもも、私たちみんなの生活が、SNSやネットによるマーケットの中に引き摺り込まれている社会の中で、大切なものは何なのか、大人にも、子どもにも、問われている気がする。そして、「断る」ということを含めて、社会全体で、このネット・マーケットの中から抜け出し、これをコントロールするために、社会でのルールを設定することを選択肢の一つにする時期になっている気がする。
コメント