私が政策秘書として活動していた時、東日本大震災の対応について検討する中で、福島県のある障害当事者から話を聞くことがあった。そのことを皆さんと共有したい。
行政は「要支援者名簿」を作成していることをご存知だろうか?流山市がどのようにこれを作成・管理しているのか、現在の私の立場では確認しようがないのが残念だ。
福島県のAさんによると、その町では、町長が「プライバシーの問題」もあり、開示による批判を恐れて開示しなかったという。そのため、支援されるべき人の確定がかなり遅くなってしまった。Aさんが所属する障害者支援団体の代表が、町長に「全部自分が責任をとる!」と迫って、要支援名簿を渡してもらい、障害者支援団体の職員たちを中心に手分けして一軒一軒回ったという。
すでに震災から1週間程度過ぎていた。その確認作業の中で、聴覚障害者のご夫婦が避難せず、自宅にいるところを発見されたそうだ。
停電しているため、彼らはテレビなどで何が起きているかを確認できなかったという。停電しているため、当時、行政は車を巡回させて、スピーカーから避難するよう誘導していたという。しかし、その車が発する「音が聞こえない」人がいるという発想がなかったのだろう。何度も回っていていても、この聴覚障害者のご夫婦には伝わらなかった。どうしていいかわからず、食糧もほとんどない状態で、かなり痩せ細った状態で発見されたそうだ。
Aさんの話は、私にとって、本当に衝撃だった。Aさんの話を聴きながら、「なぜ、このご夫婦は、このような状態になるほど取り残されなければならないのか?」と考えた。それは、
彼らが、この街に暮らしながら、この街に存在していなかった。
ということを示しているからではないだろうか。
聴覚障害をもつ、このご夫婦が、この街に暮らし、共に自治会などの活動をしたり、お茶を飲んだり、地域の人と暮らしていたら、必ず誰かが「あのご夫婦はどこにいるだろうか?ちゃんと避難しているだろうか?」と、心配するのではないだろうか?
しかし、実際は違った。誰にも気づかれずに、彼らは彼らだけで、自分たちを守らなければならなかった。それは、その街に暮らしながらも、彼らが、この街に存在していなかったからではないか。
衝撃だった。
この衝撃があるから、私は、強く強く、個別避難計画を作成し、訓練を実施し、いのちを守る体制をつくることが必要だと訴えるのだ。
私は、あの衝撃を今も忘れていない。
町長が腹をくくれなかったこと、行政が本当に何をしなければならないかということ、を教えてくれる。
私がなぜインクルーシブにこだわるかといえば、日頃から障害や病気があろうがなかろうが、一人の人がその街にきちんと「存在する」ことができていれば、大丈夫なのだ。だからこそ、インクルーシブとは、日頃から、誰かが疎外されるのではなく、きちんと、しっかりと、地域のなかに、学校の中に、誰もが「存在すること」がいのちを守り、暮らしを支え、人と人の関係をつくる土台だと考えるからだ。
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