映画「マリア・モンテッソーリ 愛と想像のメソッド」を観た。
モンテッソーリと言えば、あのモンテッソーリ教育。数年前、モンテッソーリ教育のドキュメンタリー映画があって、私も拝見したが、本作はモンテッソーリ教育についてではなく、このメソッドを生み出した女性の物語だ。
イタリア初の女性医師となったマリア・モンテッソーリ。現在でもなお、保守的なところが残るイタリアのこと。19世紀後半。あれだけやりたいことがある女性にとって、本当に本当に生きにくかったことだろう。フランスでの映画のタイトルは「新しい女性」だったという。このタイトルの方がピッタリだ。
彼女は、未婚の母であり、子どもたちのための医療や療育、教育をしながらも、自分の子どもを自分で育てることができなかったという事実に驚かされた。彼女の意思を許さない、当時のイタリア社会の姿。そんな中で、彼女は、子どもたち、のちに障害がある子どもたちの教育に全てを捧げる。
当時の世界を映し出すような接神論のシャーマンが語った言葉。
「その喜びが利己的なものであるならば、大きな喜びだとしても何の意味があるだろう。公益のために惜しみなく犠牲を払うことなく得た喜びなんて。」
この言葉が、その後のモンテッソーリの人生を暗示している。
彼女の言葉、
「新しい教育学は母親の崇高な能力に着目すべきです。そうすれば、障害児も置き去りにされません。女性を象徴とする愛情に満ちた教育です。・・・最も大事なことは子どもを愛することです。」
「女性は無気力と無知の闇から抜け出さなければならない。」
「紛争回避は政治の仕事だが、平和構築は教育の仕事だ。」
と語っている。また、彼女の墓標には、
「あらゆる可能性を秘めたこどもたちよ。人類と世界の平和を私と共に築いてほしい。」
と書かれているそうだ。
その一方で、ムッソリーニと一時期協力していたなど、彼女の中に相反するものが共存することを知って、反対に惹かれた。面白い。
映画には、モンテッソーリに娘を預けるクルチザンヌ(高級娼婦)リリが登場する。ネタバレですみません。リリは架空の人物だという。しかし、リリの存在がよかった。
男性たちの勝手さ故に、モンテッソーリが最も辛かった時期。それを支えたのが、女性たちだったというストーリーが嬉しかったし、救われた気がする。
クルチザンヌは、社会的にも、経済的にも、当時のフランス社会で、相当に一目置かれた存在だったというのは知っていたが、それでも境遇が違う女性たちが、お互いに理解し合い、力を合わせる姿は、グッときた。監督と私自身も、全く違うはずなのだが、実は重なる部分があることを発見して励まされた。
リリの娘役のラファエル・ソンヌヴィル=キャビー、素晴らしい演技!!!母親の全てを見抜いている姿、そして、複雑な胸のうちを演技で表現していた。これからが楽しみだ。
もう一つ、マリア・モンテッソーリを演じたジャスミン・トリンカ。理知的な姿が印象的だった。彼女が20数年前に出演した映画を私が観ていたことを知って、これも何だか嬉しかった。
モンテッソーリは、子どもの父親が息子を認知して、その後12年間、息子に会わなかったという。子どもが15歳の時に会ったが、その時も「甥」だと紹介したのだそう。しかし、その後、息子マリオ(マリアの男性形)は、モンテッソーリのよき理解者として、その活動に同伴したということを知り、何かしみじみと嬉しかった。
私自身、この17年間、子どもを育てるのにまさに格闘してきた。モンテッソーリとは比べ物にはならないが、それでも重なるものを感じて、間違っていなかったと励まされた。一世紀以上前に、これほど開明的な女性が存在し、子どもたちのために格闘してくれたこと、それが今もなお多くの人々を支えていることに感謝したい。
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