国も流山市も、判断決定過程の記録と情報開示は責任だ。2025.06.07公開

6月5日、大阪地裁は、通称「アベノマスク」に関する契約過程を示す文書について、大半の不開示決定を取り消し、国家賠償を命じた。国の情報開示についての重要な判断だ。

通称「アベノマスク」はコロナ対策のために、国が400億円をかけて布マスク約3億枚を調達し、国民に配布した。覚えていらっしゃるだろう。この時の業者とのやり取りについては、当時から不明瞭であることが指摘されていた。

その後、原告が情報公開請求したところ、契約書や見積書は開示されたが、業者とのやり取りについて、担当職員らは「やりとりはほぼ『口頭』だった」と証言し、開示しなかった。しかし、判決は「繁忙状況を考慮してもメールや報告書が作られなかったとは考えがたい」として、不開示は違法と判断した。

また国側は、業者とのメールについて、「その都度廃棄していた」としていたが、国が再調査したところ、職員のパソコンから100通以上のメールが見つかったという。このような嘘は許されない。

原告の上脇博之(神戸学院大学教授)は、「初めから不開示という結論があったからこそ、国はうそにうそを重ねる弁明に終始した。裁判所がそこを見抜いてくれた。」と発言。また判決は、国が「保存期間1年未満の文書」でも公文書に変わりないにも関わらず、最初から「1年未満」を理由にして対象から外していたとも指摘している。この国の恣意性についても、違法性を指摘している。

コロナのようなパンデミックや混乱状況は、今後も起きるであろう。しかし、そのような極めて厳しい繁忙状況においても、国は国民への説明責任から逃れられないことを示している。上脇教授は「政権の都合ではなく、国民の知る権利に応える。この原点を忘れないでほしい。」と語っている。

これは国に限らない。

行政は、さまざまなことを日々「判断する」。公的な存在である自治体の判断は、「公正さ」が確保されなければならない。その判断に至るプロセスの中では、さまざまな検討が忌憚なく行われるべきで、その検討は極めて自由に、あらゆるケースが検討されなければならないと思う。

そして、判断に至った議論の変遷については、きちんと記録されなければならない。それは、その判断が、批判に足る決定であることを示すためであり、公正さを確保したものであることを示すためでもある。また、時に批判から決定者を守ることにもなるだろう。

だからこそ、「記録」ということを行政、国はもちろんのこと、自治体もまた、極めて重大に受け止めなければならない。国であろうと、千葉県であろうと、流山市であろうと、批判に耐えうる判断をしたと示せるような判断をしなければならない。

行政には、その責任がある。

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