拍手は鳴り止まなかった。
戦争を始めた核保有国であるロシア大統領が、核の使用を発言し、ウクライナを、世界を、脅している。そんな中、このノーベル平和賞は、世界が改めて「核兵器とはどのようなものかを思い出さなければならない」ために授与された。
代表してスピーチした田中煕巳さんは、自身の長崎での被曝体験、親族を失った経験、長崎の被爆地で見た風景を語った。
そして、加害国からはもちろん「自分の国からも」、賠償や支援を得られず、被爆者が偏見と差別の中で、孤独に生きなければならなかった戦後について語った。結婚差別など様々な差別があった。
ノーベル平和賞の受賞を聞いた日本国首相の賛辞が控えめなのは、戦後の被爆者への支援が、国主導ではなく、日本被団協をはじめとした、被害者たちが立ち上がり、訴え続けた結果であったためだろう。
もし日本被団協の粘り強い運動がなかったら、被爆者は、歴史の中で沈黙させられ、今頃、日本人ですら知らない歴史の一場面になっていたかもしれない。
在外被爆者にいたっては、生存者が少なくなった頃になってやっと、支援が受けられるようになったに過ぎない。それも、手続きしにくいやり方で。
そして今、日本政府は、自国民が核兵器によって殺された国であるにもかかわらず、核兵器禁止条約に署名することもできない。被爆地から、この国の首相を輩出してもなお、署名することすらできないのだ。
核兵器の被爆者にとって、一体「国家とは何か」「自らの属する日本政府とは何か」を問わざるを得ない状況が続いている。
高1の私の息子は、中2は家族で、中3は修学旅行で、広島を訪れ、原爆について見聞きした。ニュースでウクライナの戦争やプーチン大統領の発言を聞き、ガザの惨状やレバノンの被害を見て、いろいろなことを感じ、考えている様子だ。言葉になること、ならないことを抱えているようだ。きっと息子だけでなく、世界中の若者たちがそうなのだと思う。そこに希望を見出したい。
私が彼の年齢の頃、世界は冷静が綻び始め、ドイツが統一され、米ソが戦略核兵器削減に向けて動いた。吹いている時代の風に希望を感じられる時代だった。それを思うと、申し訳ない。しかし、今の若者たちは、今見えるものをしっかり見ながら、現実的に、地に足をつけて、解決する力をつけてくれるのではないかと思う。
戦後80年間、日本という国が一度も戦争をしなかった事実は重い。そして、人類の歴史が「戦争の時代」に大きく傾く今、日本政府が戦争に加担するのか、戦争を否定する道を模索しつつ問題を解決する道を進むのか。何を未来につなぐか。私たち国民の判断こそが問われる。
田中さんは、ノーベル平和賞は「始まり」でしかないという。田中さんたちにとってこれが始まりなら、それは何より日本政府、日本人である私たちにとっての「始まり」なのだ。
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