7月27日(日)の7時のニュースで、千葉県東金市の浅井病院に、陸軍病院に収容されていた兵士8002人分の「病床日誌」が保管されていることを報じていた。これは、精神疾患などで病院に収容された兵士たちの記録だ。精神疾患を発症した原因や経緯が、詳しく残されている。
陸軍病院の医師が終戦後に、焼却処分の対象となったカルテをコピーし、自ら開業した病院で保存していたという。相当な量の記録である。よくぞ、このように貴重な記録を確保、保存してくださった。多くの患者を診ながら、この記録をないものにしてはならないという医師としての、人としての責任感からの切実な行動だったのではないか。
NHK:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250723/k10014872231000.html
旧陸軍の先の大戦の末期4年間における戦病者は、約785万人とされている。そのうち8%に当たる67万人が精神疾患・その他の神経症だったという。陸軍省は、軍幹部が、欧米軍には存在しても、日本軍には、精神疾患を患うものは「一名も発生いたしませぬ」と発言している。
戦後80年経った今、初めて昨年から、国が兵士たちの戦争による「心の傷」についての調査を始めたという。戦争が終わってもなお長く、兵士たちが戦争による傷、体だけでなく、心の傷を負っていたことがわかる。というより、皆知っていたが、国によって、それは「存在しないもの」「存在するはずのないもの」にされてきた。当時、よく「ぶらぶら病」と言われていたと聞いている。
加えて、精神疾患に対する日本社会の偏見ゆえに、病院で診察・治療されることが憚られ、治療を受けられた兵士は一部なのではないだろうか。そのため、治療されるべき人たちに、きちんとした治療が行われなかったため、余計に人々は苦しめられた。兵士はもちろん、その妻、子ども、親戚たちは、深刻な影響を受けている。苛立ち、喧嘩、侮蔑、暴力、虐待、家庭不和。そのことが、戦後の日本社会の底に、ずっと存在し続けてきたことを忘れてはならない。「それが何故に起きたことなのか」という問いに、私たちは意識的でなくてはならない。
日誌より:
部隊長の命令で、付近の住民を殺せと言われて、自分も7人殺した。その後、恐ろしい夢を見、殺した良民が恨めしそうに見たりする。
浅井禎之理事長:
「兵士たちがどのような経験をしてどのように悩み、どのように精神疾患を発症していったのか、今までなかなか知られてこなかったと思う。兵士として戦地に行かなければ精神疾患を発症することなく平和に暮らせていたかもしれない。戦争にはそういう側面もあったということを多くの人に知ってほしい。」
ヴェトナム戦争後、アメリカでは、ヴェテランと呼ばれる帰還兵たちのアルコールや薬物への依存、自殺、ドメスティック・バイオレンス(DV)、様々な事件、などから明らかになリ、戦争によるPTSDについて対応してきた。1988年には、すでに報告書もまとめられ、現在もなお、対応し続けている。
一方で、このような動きがあっても、日本政府はこの問題から目を背けたままだった。戦後80年、この問題に取り組む市民団体の動きや、その報道もあり、この問題の調査を始めたのではないだろうか。大切な調査だと思う。しっかりと解明して示してほしい。昨年、流山市で開催された、市民による「平和のための戦争展・流山」でも、「PTSDの日本兵家族会」の方が、この問題を報告された。先日、ご紹介した吉野信次さんもその活動メンバーの一人だ。
戦争というものの現実を突きつけられる。そして、それは今なお、世界で起きている。
国の調査を紹介している展示を開催。国の施設「しょうけい館」。
「しょうけい館」:

今年も第3回平和のための戦争展・流山が開催されます。下記にご案内したい。
第3回平和のための戦争展・流山:9月6日(土)・7日(日)生涯学習センターにて。


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