「ザイガイヒバクシャ(在外被爆者)」という存在をご存知だろうか?
今夏、松戸を中心に続いている「松戸市民ネットワーク(松戸で生きたい私たち)」発行のミニコミ誌「たんぽぽ」から依頼をいただき、「在外被爆者」についての原稿を書いた。今回は、その在外被爆者について、ご紹介したい。(購読の連絡先:昼間047-360-6064吉野)
2025年3月末時点で、被爆者数は、9万9130人。初めて10万人を切ったと報道されていた。この中に、約2178人の在外被爆者(手帳保持者)がいらっしゃる。実は、私は国会議員政策秘書になるまで、その存在を知らなかった。
在外被爆者とは、広島または長崎で被爆した後、何らかの事情で自国に戻ったり、海外に渡った被爆者のことをいう。在外被爆者は、「被爆者援護法に基づいて被爆手帳を交付された者が、日本の領域を超えて居住地を移した場合に、健康管理手当等の受給権が失権することを定めた通達(厚労省402号)」に基づき、日本に滞在している期間を除いて、被爆者援護法の対象にならなかった。
1967年に韓国原爆被害者援護協会が発足し、司法に訴える動きがでた。そして、国内外の運動が起きた。この運動と連携して、国会でも省庁交渉や質問主意書などの動きが起きた。ここで、私も、お手伝いをした。
2001年には、大阪地方裁判所で違法判決が出る。そして、国会議員らの動きとともに、2003年には、厚労省402号通達が廃止となり、賠償が行われる。そして、国外からの申請も可能となった。それまで、日本国外に暮らす被爆者は、被爆者健康手帳を申請するためには、来日して日本のどこかの自治体で申請しなければならなかった。しかし、2008年には、議員立法により、居住国からの申請を可能にする法改正が行われた。
現在では、在外被爆者に対して、渡日支援、居住地における保健医療支援、医師等の研修の受け入れ、被爆時状況確認証の交付などが行われている。放射線被爆者医療国際協力推進協議会を通じた専門医の派遣なども行われている。
今年、広島市の担当者の方から話を聞いたが、2021年広島高等裁判所判決を受けて、2022年4月から被爆者認定に新基準が適用されたため、現在でも在外被爆者からの申請はゼロではない、とのことだった。
実は、当時、私の知人が在外公館で医師として勤めていたので、在外公館の医師を活用できないかと厚生労働省に提案したことがあった。当時は、「そんなことはできない!」と、全く相手にされなかったが、現在では、このような提案が実現していることを知り、感慨深かった。
また当時、昔の議員会館だった頃だが、民主党の国会議員であった山本孝史議員の近くの部屋だった。山本議員は、その後、ご自身ががんに罹患されたのだが、それを明らかにして、がん対策基本法を成立させた議員だ。山本議員も、この問題に一生懸命取り組まれていて、当時、夜遅くまで、厚生労働省の役人と質問についてやりとりしている時など、山本議員が励ましてくださったことを思い出す。
この問題は、どこに暮らしているのか、「現在の居住地」によって起きた被爆者への差別だった。これを国内外の運動と連動して、国会議員らの質問、交渉などによって、差別を是正することができた。
主に野党議員らが熱心に活動したが、当時サッカーワールドカップ開催など、日韓関係を重視した町村外務大臣(当時)や戦争被害者援護についての族議員と言える尾辻厚生労働大臣(当時)の姿勢が大きく影響し、後押しがあった。そんな与野党を超えた議員らの誠実な動きが当時の国会にはあったのだ。
ただし、朝鮮民主主義人民共和国に帰国した被爆者については、今もなお、被爆者への支援が行われていないことが危惧される。
被爆者には、何の落ち度もない。その人たちが、居住地によって、被爆者支援が受けられなくなるという差別が、かつて日本に存在し、それが多くの人々の働きかけで是正されたということをぜひ、知っていただきたい。二度と、このような差別が繰り返されてはならない。
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