附属幼稚園廃園問題、私は「公(おおやけ)」とは何か、が問われていると思っている。
流山市は「民間にできることは民間に」という姿勢で、公民連携を強力に進めてきている。しかし、昨今起きた感染症、気候変動や災害といった出来事を考えれば、公である行政は、極限の状態でも、市民の生活を維持できる体制を準備しておかなければならないのは、当然のことだ。
私立の幼稚園は、子どもたちや職員の安全のために休園できても、公立の幼稚園は、休園するわけにはいかない。例え、在園児は休みにしたとしても、災害時や感染症流行の際には、他のお子さんのために開園が求められる事態があるだろう。
また、私立の幼稚園では「入園を拒否された」ということが起きているようだが、公立では、ありえない。そして、その一人のために、必要なら教育長や市長らも入って、その子のための環境を整備し、ちゃんと園で暮らし、成長できるようにする。それが「公」のあるべき姿。Never give up!なのだ。
確かに大変だけれど、だからこそ、そういった「公」の姿勢や役割は誇っていいものだと思う。公立幼稚園がなくなったら、いざという時に、流山市は私立幼稚園に開園や子どもの受け入れについて、強制することができるのか?できないだろう。
昨今、就学前教育というものが、人の人生や人格形成にとって極めて重要な時期だという指摘への理解が進んできている。「母・父になるなら流山」というのであれば、その大切な就学前から義務教育が終わる中学までの教育現場は、流山市が追求する教育、その「質」というものを実現するための重要な実践の場になる。それを手放す必要はないだろう。
こういった「公」の役割や重要性を否定し、「私」だけで事足りると主張するとしたら、それは「公」である行政の自己否定だと思う。「公」が「公」としての役割を果たし、「あらゆる」子どもたちとその保護者らをしっかりと支えていくために、附属幼稚園を存続していくべきだと思う。
※次回のブログでは、附属幼稚園廃園問題をどう解決するのか、考えていきます。
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