昭和100年を迎える2025年。

政治・社会

昨日12月9日、たまたま車から流れるNHKラジオを聴いたら、この声は・・・ 保坂正康さん!

「Nらじ」でのテーマは、斎藤隆夫氏の反軍演説の件だった。(12月16日18:45まで視聴可能)今年亡くなった、私の父も、斎藤隆夫の演説を読んでおけ、と言ってくれていた。

来年、昭和100年を迎えるそうだ。

その昭和という時代の最初20年は戦争に明け暮れ、その後80年は一度も戦争をしなかった日本。

歴史を客観的に見たとき、私たちは、「そこから何を学び、何を次の時代に繋いでいくのか」

大きな試練の時だ。

昭和100年を迎える来年こそ、その芽をしっかり確立したい。

昭和6、7年から11年までは、日本はテロの時代。

暴力が改革の手段になった時代。

そのテロを国民たちが支持した。

「動機が正しければ、何をやっても許される」というテロを認める風潮が生まれていく。

斎藤隆夫氏は、国会で反軍演説を行い、国会で除名される。

その際に、8名の国会議員が反対し、100名程度が棄権、約300名が賛成したという。

その後、昭和17年の選挙で、兵庫県民は、斎藤隆夫氏をトップ当選させる。

軍からの推薦がない者は、選挙運動で演説もできなかった時代。

市民が命懸けで斎藤隆夫氏を応援し、当選させた。

保坂氏は、「命懸け」で「言葉で闘った」斎藤隆夫だけでなく、それを「命懸け」で支えた市民がいたことを忘れてはならないと強調する。

そこに、時代に抵抗する、戦争に抵抗する、市民がいたこと、その知恵、歴史観、信念があったことを忘れてはならない。

市民の側にこそ、社会の「構図を読み取る力」が必要だ、と。

人類の歴史の動き、国の選択、個人はどう国(の選択)との関係をつくるか。

その大きな3つの視点をもって、自らの立つ位置を確認することが必要。

第三次世界大戦になるのではないかという、

人類が再び「戦争の時代」に入ろうとしている今、

日本が、その流れとは違う形で何ができるのか、

そのような選択をした日本に、市民として何ができるのかが、問われる。

政治家の問題ではなく、むしろ、私たち市民の問題なのだ。

 

2025年、アメリカ合衆国大統領にトランプ氏が就任する予定だ。

私たちは、どこに向かっていくのか。

その流れは受け入れられる方向か。

自分を含め、人々を幸せにする方向か。

私たちは、どの方向に進むべきなのか。

そのために、どう抗うのか。

どう歩みを進めるのか。

情報に流されることなく、自分に問い、考える。

そんな一年になりそうだ。

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