流山から「黒川の女たち」を想う。2025.07.16公開公開

女性たち

ここ数日、満蒙開拓団について書いてきた。最後に、黒川満蒙開拓団について書きたい。

黒川満蒙開拓団のことを知ったのは、数年前のことだ。

岐阜県の黒川村(現白川町黒川)からも満蒙開拓団として分村移民した。日本軍が農民たちを守らず逃げていく中、多くの開拓団が集団自決という道を選んだ。その中で、黒川開拓団は、帰国することを選ぶ。約650人のうち、約450人が帰国を果たす。しかし、それは生半可なことではなかった。

破壊された橋を渡り、これだけの人たちが生きて帰るために、黒川開拓団の幹部らは、自分たちを守ってもらう代わりに、ソ連軍の兵士たちに対して、数えで18歳以上の女性15名を「性接待」のため差し出した。その後、性病のため亡くなった女性も4名いた。

しかし、約450名が生きて帰国した後、この女性たちは、元団員から「汚れた娘」「キズもの」といった差別と中傷にさらされる。どの口が言えるのか!と言いたい。村を出ていく女性たちも少なくなかった。女性たちは、沈黙を強いられる。

しかし、2013年、満蒙開拓平和記念館(長野県阿智村)で、昨年99歳で亡くなった佐藤ハルエさん、2016年に死去した安江善子さんらが初めて実名で告発した。

「あったことをなかったことにはできない」からだ。

そして、佐久良太神社境内に「乙女の碑」が建てられた。しかし、碑文はない。安江善子さんのご子息は語る。「黒川開拓団は日本の縮図。反省しないまま終わっている。誰も戦争を総括していない。」この言葉を噛み締めたい。

開拓団は、全員で帰って来れたわけではない。これまでにも書いたように、高齢者、病弱者、赤ちゃん、弱いものたちを切り捨てて帰国した。そうせざるを得なかったとも言えるかもしれない。でも、それでいいのか。仕方ないだけで済ませていいのか。そして、皆が生きるために、女性たちに性接待を強いた。しかし、自分たちの危機が喉元を過ぎると、この恩人であるはずの女性たちを中傷し、差別し、沈黙を強いた。この事実を知っておくべきだ。

黒川の女性たちについては、書籍が発行されている。加えて、この夏、黒川開拓団を守った女性たちの事実がドキュメンタリー映画となって公開されている。

「黒川の女たち」

映画『黒川の女たち』公式サイト
1945年関東軍敗走の満洲で待ち受けた、黒川開拓団の壮絶な運命― 戦争と性暴力の事実、いま知るべきことがここに在る。7/12(土)よりユーロスペース、新宿ピカデリー他全国順次公開

東葛地域でも、柏の旬報シネマシアターで、8月2日より公開されるようだ。

ぜひ、多くの方に事実を知ってほしい。

もう一つ。

長野県阿智村に満蒙開拓平和記念館がある。私は、まだ一度も訪ねたことがない。

ぜひ、訪れたい。なお、この記念館は公設ではないことをお伝えしておく。

満蒙開拓平和記念館公式ホームページ:

https://www.manmoukinenkan.com/

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