流山から千鳥ヶ淵墓苑へ。そして感じる平和教育の大切さ。

戦争・平和

今日は、8月15日。終戦記念日だ。

ここ30年近く、この日、私は家族で千鳥ヶ淵墓苑を訪れている。ここは、日中戦争や太平洋戦争の戦没者の遺骨で遺族に引き渡せなかった遺骨が安置されている。国の施設で宗教的な施設ではない。誰もが自分の想いで、自分のやり方で慰霊・追悼することができる。

父の長兄がレイテ島で戦死している。我が家は、父が忙しく、現職の時に家族で旅行したことは一度もない。ただ、毎年盆と年末、祖父母の家に泊まりがけで帰省した。墓参りの時には、いつも必ず、古い墓に手を合わせるように言われた。それが父の長兄のお墓だった。小学校前くらいから「戦争」「戦死」という言葉は、私の中にあった。

父は晩年、一度だけ、遺骨をとりに来るように言われて祖母と役場に行った時のことを話してくれた。遺骨だと渡された木箱の中には、木の端があるだけで、祖母がものすごく怒りながら歩いて帰ってきたと言っていた。強い強い祖母で私は大好きだった。どれほど悔しかっただろう。長男を亡くした。父にとっては、兄といっても歳が離れていて、父親のような存在だったと言っていた。その父は、仕事で東京に来るたび靖国神社に参拝していた。

こんなふうに、私の世代はまだ、自分の人生の中に、身内の戦死者の写真や墓、「戦争」「戦死」という言葉やナラティブ(物語)がある。しかし、息子たち世代はどうだろう?我が家は、ゲームはしないが、戦争がゲームだったり、自分とは関係ない、心身の痛みを伴わない遠いものになっていないか心配だ。

一方で、息子が中学生の時、南流山中学校の息子の学年の修学旅行は、例年と違い広島と京都だった。この選択に感謝している。非常にしっかりとした平和学習をした上での訪問だった。広島を見学した報告会があり参加した。参加者が評価して1位だったクラスは、他校の先生方の前でプレゼンできるとのこと。1位は6組だった。しかし、私が投票したのは1組。

1組の発表で印象的だったのは、ある女の子の日記を見た時のこと。8月5日に、家族で潮干狩りをして、みんなでうどんを食べたことが書いてあったが、その次の日からずっと白紙になっていた。原爆で書けない状態にになったのだということがよくわかった。といったことを発表していた。実は、私もこの日記帳をよく覚えている。目立つ展示ではない。だから、生徒たちは、一つひとつの展示を一生懸命見てくれたんだなと熱くなったことを覚えている。

平和教育は、社会を真っ当な形で担う大人になるため、社会を未来へと継続し続けるために、大切な教育だ。1組の生徒たちが感じたように、今の子どもたちも、大人たちがきちんとした事実を伝えた時、ものすごく真剣で、しっかりとした答えが返ってくる。息子を見ていても、第二次世界大戦、ガザ、ウクライナと、真剣に考えている。そんな子どもたちの感性を私は信じているし、期待したい。

ただし、大人たちも考え、学びを止めず、真実を伝えていく努力をしなければならない。平和教育は、自分で考え、自分が正しいと思う行動を勇気をもってできる大人になることだ。息子たちは、平和教育を受けて考え、実際に広島に行けたが、流山市内の全ての学校が広島に行くわけではない。

今日、千鳥ヶ淵墓苑に行った帰り、神保町の本屋などぶらぶらして帰ろうとしていたら、戦争反対を訴えるデモと、これを妨害する右翼の激しい衝突で周囲は騒然としていた。息子は衝撃を受けたようだ。いい経験だったと思う。そして、それぞれの考え方について話し、彼の考えを聞いた。

私たち大人は、何を子どもたちに伝え、学んでもらうのか。意識的に伝えるべきことを伝える努力をしながら、一緒に学び、一緒に考え、一緒に話し合って、子どもたちが育っていくお手伝いをすることが大切だと思う。

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