8月9日は、長崎に原爆が投下された日だ。
長崎の皆さんが訴える「長崎を永遠に最後の被爆地に」という切ない想いは、本当に大丈夫だろうかと思わざるを得ない国際情勢だ。今年は、長崎に、パレスチナからもイスラエルからも、またロシアやイランからも出席があったようだ。
駐日パレスチナ常駐総代表部のワリード・シアム大使の言葉:
「長崎の記憶と生存者の尊厳は、恐怖に直面しても、記憶は抵抗となり、生き抜くことは証言となることを思い出させる。」
この言葉が示すように、広島、長崎で被爆し苦しんだ人たちとガザで、パレスチナで苦しんでいる人々は、同じ凄まじい苦しみを受けたものとして、お互いに、それが分かち合える存在だと言うことがわかる。
「長崎の式典の間も、イスラエルはガサを攻撃した。イスラエルは何を学んでいるのか。」
招待することは大切だと思うが、シアム大使の問いかけは、そのまま問われるべき国・人々に対して問われなければ外交にはならない。
広島も長崎も、平和式典に参加するために、多くの大使、外交官、国内外の政治家が参集する。参加すればいいのではなく、原爆投下によって起きたことの実相を見てもらい、感じてもらいながら、「問いかけ」、対話する場としなければ、外交の場としての機能になり得ないと思う。
それを広島市長、広島県知事、長崎市長、長崎県知事だけに任せるのではなく、日本の政治家がどこまで、この貴重な機会をとらえて、動いているだろうか?活かしているだろうか?問わざるを得ない。
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