前回ブログのつづき。
4)いつ、教育委員会会議で了承されたのか?
井崎市長は、教育委員会会議について問われ、「昨年度から教育委員会委員協議会(発言のまま)においても複数回にわたり、幼稚園廃園や幼児教育推進にかかる熟慮を重ねており、3月末時点で、すべての委員から異論はなく、廃園を了承しているとの報告を受けています。」と答えている。
ということは、教育委員の全員が了承したことになる。
吉田教育長は、「教育委員会議」ではなく「教育委員会」と言い続けていて、ずれた答弁になっている。「議案の内容なので、非公開で議論させていただいて、教育委員会の決をとらせていただきました。そのため、公開だったのかというご質問については、非公開での議論とさせていただいております。」と答弁している。
おだぎり議員からの質問は、「教育委員会議」だと思う。
井崎市長も、吉田教育長も、答弁がずれている気がするが・・・。
ただ、市長が「昨年度から」と発言しているので、流山市の令和6年、令和7年、令和8年の教育委員会会議の議事録を確認したが、附属幼稚園廃園についての議案については、何も記載がない。
令和5年の教育委員会議では、廃園問題が議案に上がっているが、その際には、田中教育長(当時)を含めて6名の教育委員の中で、賛成4反対2で、廃案するという議案が可決された。
しかし、たとえ非公開で議論されたとしても、討議された議案がなんだったかについては記載すべきではないか。そうでなければ、何のために議事録を公開するのか?
もちろん、教育委員会議では深刻ないじめの事件なども報告もあるだろう。当然、非公開での討議となるだろう。しかし、そのような場合でも、個人名を出すことなく、議事内容も公開しない、しかしどのような議論が話されたのか、その議案を記載することは極めて重要だろう。
教育委員会会議で了承されたとしたら、教育委員にも責任がある。いつ、どの教育委員のもとで、附属幼稚園廃園が了承されたのか、明らかにしてほしい。
5、なぜ、廃園理由が変わったか?
まず最初に、流山市が言っていたのは、入園者数が減少する中で、財政的な赤字を続けるわけにはいかないということだった。
ところが、今回の吉田教育長の説明では、「お金ではない、園児数が少なくなり適正教育ができない状態になったから廃園にするのだ。」というものだった。まるで、子どもたちのためと言わんばかりだ!
この変化は、何だろう?と考えた。
昨年の説明会の際に、流山市からは、
「他の私立幼稚園で受け入れてもらえない児童については、補助金を出し受け入れてもらう方針だ。」と説明していた。
これまで財政的な問題なのだと説明されてきた参加者から、「それはどれくらいの予算になるのか?その補助金があるなら、附属幼稚園の存続は可能なのではないか?」と、質問が出た。
しかし、流山市は説明できなかった。
次のブログでは、流山市の廃園理由がなぜ変わったのか?について考えてみたい。



コメント